くらり

メンヘラと中二病

かくなわ

割と頻繁に更新するときは、大体生理前か試験前か休み明けだったりする。
基本的にメンヘラ中二病なので、それ以外でも更新するときはするけど。

もう、何ていうか、生きているのが不安になる。このままの生活を続けて行って、将来どうなるかは目に見えてる。なのに努力も行動もしない。ダメだとはわかっているのに、頭の隅に存在する「最終的には死ねばいいじゃん」という考えが邪魔をする。
申し訳ない、ほんとうに。
私なんかよりも辛い思いをしている人は沢山いるだろうに、こんな軽い気持ちで死ぬとか宣って本当に済まないと思っている。
けれども、この死にたいという感情は私だけに許された物ではないように、反感を持ったであろう貴方や、他の死にたい人達だけに許されたものでもないのだ。
つまりは、自由。
何を思って、何を憂いて死を思い描くかは、個人の自由なのだ。
「そんな軽いことで死にたいなんて構ってほしいだけだろ」と言いたいなら、それも自由だ。けれども、構ってほしい人間を選ぶのも自由なんだ。然すれば、死にたいと思うことも自由である!
迷惑だと思って離れていくのも自由だ。

そもそも、人の感性や性格に、難癖をつけるべきではない。
正義感を履き違えた人間が、偶に自分に酔って薄っぺらい演説を宣う事があるが、死にたい人間に生きることの素晴らしさを説いても、「あなたのような人が居るから死にたいのです」という結果にしかならない事を理解しろ。
死にたい人間はお前たちのことを忘れないぞ。それに同調した人間もだ。
彼らの様な人間は、その後の事はどうでもいいのだ。その時だけ、自分が周りに対して如何に正義感が強く、かつ他人思いであるかを証明したいだけなのだ。
「こんな社会不適合者にも接してあげる私はとても優しく清らかな人間でしょう?」というアピールに過ぎないのだ。
その証拠に、彼らは「死んではいけない」と言いつつ、死にたくなる原因を取り除いてはくれないのだ。
例えるなら、貧困で苦しい状態を見て「かわいそう」とは言うが、援助をするわけではない。つまるところ、「かわいそう」と思える自分はとても凄い、褒めて、優しいでしょと言う感じ。

そういう人間が多い。
だから死にたいのです。
彼らの行動も自由だし、私の行動だって自由だ。